◆ ゴルフ名言集 ジェイ・ハース
「ゴルフには(防御)ディフェンスが無い誰のジャも出来ない代わりに、誰の助けも得られない ゴルフは、自分次第なんだ・・」
これは朝日新聞11月10日夕刊「米国ゴルフツアー 素顔のプロたち」に載っていたなかからの抜粋です。
レポーターは「週刊ゴルフダイジェスト」でもお馴染みの舩越園子さん。
米国に住み、主に米ツアーをカバーするゴルフジャーナリストである。
ジェイ・ハースはいう。 「野球なら打った球キャッチして止められる。フットボールならタックルして相手を阻止できる。でもゴルフは競り合う相手が打ったボールを止めることはできない。誰の邪魔もできないかわりに、誰の助けも得られない。要するに自分次第なんだ」
ジェイ・ハースはもうすぐ51歳をむかえるシニアプロだが、
なんのその、現役ツアーの第一線で活躍中なのだ。
ハースが『自分次第』と目覚めたとみえるのはシニア入りぎりぎりの49歳のとき。賞金ランク15位。そして今年は27位。
トップ30位までの選手で争われる最終戦のツアー選手権では、
堂々の優勝争いまで演じた。通算9勝。
この飛躍の原動力は何なのか。
「肩を痛めた2000年は、もう年だと捨て鉢になりかけたが、
若い選手でさえ必死にトレーニングしているのに刺激され、
老体の柔軟性を維持するために49歳からエアロビクスを始めた」。
つまり違う自分、ステップアップした自分をつくるために努力したわけである。
その結果、冒頭のような言葉を舩越さんの前に吐露したのである。
シニア諸氏、もって瞑すべし!
■ジェイ・ハース
1953年、米国ミズリー州生まれ。名門ウェイクフォレスト大学出身。76年プロ入り。ツアーでは中堅として活躍していたが、シニア入りを目前にした03年、急浮上、賞金ランク15位、今年27位。シニア世代の星として注目されている。通算9勝。
ゲーリー・プレーヤー
●ゴルフ名言集 ゲーリー・プレイヤー
「ゴルファーの最大の敵は自分であり、他の誰でもない」
ゴルフという競技の本質をついた言葉である。ゴルフにおける闘いとは、
自分とコースと相手との相関関係において成立する。
特にストロークプレーにおいては特定多数のプレーヤーとスコアを競うのだから、
目の前の相手に勝ったからといって優勝できるとは限らない。
だから、自分の意志どおり、最高のマネージメントどおりにプレーして結果を待つということが大事になるわけだ。
そのためには、目の前の相手に一喜一憂することなく、
自分のプレーをすることである。
また、自分が最高のプレーをしても誰かが、それ以上のプレーをすれば
その人に勝ちをゆずることになるのも、ゴルフ競技の奥深いところであろう。
トーナメントで優勝争いしている人に、インタビューすると大抵のプレーヤーが
「自分のゴルフをするだけです」というのは、この名言を体感して
知っているからだろう。
そしてこの名言を吐いた人がゲーリーだったからこそ、真に迫ると
思うのは筆者だけではないだろう。
ゲーリー・プレーヤーは168センチという小柄な体格ながら、ハードな練習、ボディビルで
毎日鍛錬することを己に課し、強靭な体力をつくりあげ、
パーマー、ニクラスとともに『ビッグスリー』と呼ばれ、世界に君臨した。
努力の人なのである。 ゲーリーがこの名言を吐くバックボーンは、
自分の故郷南アで見たハリー・バードンの模範試合であったという。
バードンが氷のように冷静で、同伴競技者を忘れ、哲学的冷静さと思える
態度でプレーすることに感銘し、自分もこのようなゴルファーになろうと
決意したというのである。
禁欲的で黒づくめのいでたち、精悍なイメージで『黒豹』とニックネーム。
また愛馬に『ニンタイ』(そう、日本語の忍耐です)と名づけた男だからこそ、
この名言がいちだんとリアリティを帯びるのである。
■ゲーリー・プレーヤー1935年、南アの生まれ。53年ツアー参加以来、世界各地のトーナメントで優勝。PGAツアーで24勝。メジャーも8勝し、グランドスラマーにもなっている。ほか各国、シニア勝利数は95回に及ぶ。合計119勝。まさに世界を駈ける『黒豹』で、パーマー、ニクラスとともに「ビッグスリー」と呼ばれ、人気を博した。親日家でもあり、青木功とは大の仲良しで、故郷南アの自宅の牧場に招待し、青木の口癖である「忍耐」を愛馬の名前としたエピソードも残っている。
「ゴルファーの最大の敵は自分であり、他の誰でもない」
ゴルフという競技の本質をついた言葉である。ゴルフにおける闘いとは、
自分とコースと相手との相関関係において成立する。
特にストロークプレーにおいては特定多数のプレーヤーとスコアを競うのだから、
目の前の相手に勝ったからといって優勝できるとは限らない。
だから、自分の意志どおり、最高のマネージメントどおりにプレーして結果を待つということが大事になるわけだ。
そのためには、目の前の相手に一喜一憂することなく、
自分のプレーをすることである。
また、自分が最高のプレーをしても誰かが、それ以上のプレーをすれば
その人に勝ちをゆずることになるのも、ゴルフ競技の奥深いところであろう。
トーナメントで優勝争いしている人に、インタビューすると大抵のプレーヤーが
「自分のゴルフをするだけです」というのは、この名言を体感して
知っているからだろう。
そしてこの名言を吐いた人がゲーリーだったからこそ、真に迫ると
思うのは筆者だけではないだろう。
ゲーリー・プレーヤーは168センチという小柄な体格ながら、ハードな練習、ボディビルで
毎日鍛錬することを己に課し、強靭な体力をつくりあげ、
パーマー、ニクラスとともに『ビッグスリー』と呼ばれ、世界に君臨した。
努力の人なのである。 ゲーリーがこの名言を吐くバックボーンは、
自分の故郷南アで見たハリー・バードンの模範試合であったという。
バードンが氷のように冷静で、同伴競技者を忘れ、哲学的冷静さと思える
態度でプレーすることに感銘し、自分もこのようなゴルファーになろうと
決意したというのである。
禁欲的で黒づくめのいでたち、精悍なイメージで『黒豹』とニックネーム。
また愛馬に『ニンタイ』(そう、日本語の忍耐です)と名づけた男だからこそ、
この名言がいちだんとリアリティを帯びるのである。
■ゲーリー・プレーヤー1935年、南アの生まれ。53年ツアー参加以来、世界各地のトーナメントで優勝。PGAツアーで24勝。メジャーも8勝し、グランドスラマーにもなっている。ほか各国、シニア勝利数は95回に及ぶ。合計119勝。まさに世界を駈ける『黒豹』で、パーマー、ニクラスとともに「ビッグスリー」と呼ばれ、人気を博した。親日家でもあり、青木功とは大の仲良しで、故郷南アの自宅の牧場に招待し、青木の口癖である「忍耐」を愛馬の名前としたエピソードも残っている。
グラントランド・ライス
●ゴルフ名言集 グラントライド・ライス
「ゴルフは20パーセントが力学と技術であっる。残りの80%は哲学、ユーモア、悲劇、ロマンス、友情、へそ曲がり、そして会話である」
スポーツライターのグラントランド・ライスの言葉。
これは『リンクスランドより』(永井淳・著 東京書籍・刊)に載っていたが、達意の文章なのでそのまま抜粋する。
「つまりゴルフはスポーツにしてスポーツにあらず、筋肉はどちらかといえば脇役で、主役は心理というわけだ。メンタルな要素を持つスポーツはほかにもたくさんあるが、ゴルフほど考える時間は多くない。
たとえば四時間のラウンド(試合時間)中、筋肉を動かしてボールを打つ時間よりも、歩きながらあれこれ考える時間のほうが圧倒的に多いスポーツがほかにあるだろうか。
思考は人を懐疑的にする。一筋縄ではいかないこの性格がゴルフの最大の魅力であり、同時に中毒性の原因でもある」
ゴルフ好きで有名なイギリス生まれの作家、P・G・ウッドハウスの
ある短編に登場するゴルファーの述懐だそうです。
これも前回と同じく『リンクスランドより』(永井淳・著 東京書籍・刊)の抜粋であるが、引用を続ける。
「温厚篤実、常識円満で非のうちどころのない社会生活を送っている人間が、ことゴルフに関しては常軌を逸して極端に走る傾向を多分に戯画化したせりふだから、額面どうりには受けとれないにせよ、ゴルファーという人種の精神構造を象徴的に表した言葉とうなずける一面もある。ゴルファーとクラブの関係は、恋愛に完全主義に似ている。現実には理想の恋人(クラブ)を求めて遍歴を重ねるところが両者に共通している。そしてついにその努力が徒労に終わるところも」
「ゴルフは20パーセントが力学と技術であっる。残りの80%は哲学、ユーモア、悲劇、ロマンス、友情、へそ曲がり、そして会話である」
スポーツライターのグラントランド・ライスの言葉。
これは『リンクスランドより』(永井淳・著 東京書籍・刊)に載っていたが、達意の文章なのでそのまま抜粋する。
「つまりゴルフはスポーツにしてスポーツにあらず、筋肉はどちらかといえば脇役で、主役は心理というわけだ。メンタルな要素を持つスポーツはほかにもたくさんあるが、ゴルフほど考える時間は多くない。
たとえば四時間のラウンド(試合時間)中、筋肉を動かしてボールを打つ時間よりも、歩きながらあれこれ考える時間のほうが圧倒的に多いスポーツがほかにあるだろうか。
思考は人を懐疑的にする。一筋縄ではいかないこの性格がゴルフの最大の魅力であり、同時に中毒性の原因でもある」
ゴルフ好きで有名なイギリス生まれの作家、P・G・ウッドハウスの
ある短編に登場するゴルファーの述懐だそうです。
これも前回と同じく『リンクスランドより』(永井淳・著 東京書籍・刊)の抜粋であるが、引用を続ける。
「温厚篤実、常識円満で非のうちどころのない社会生活を送っている人間が、ことゴルフに関しては常軌を逸して極端に走る傾向を多分に戯画化したせりふだから、額面どうりには受けとれないにせよ、ゴルファーという人種の精神構造を象徴的に表した言葉とうなずける一面もある。ゴルファーとクラブの関係は、恋愛に完全主義に似ている。現実には理想の恋人(クラブ)を求めて遍歴を重ねるところが両者に共通している。そしてついにその努力が徒労に終わるところも」
ゴルフ名言集 ジャック・バーグ
● ゴルフ名言集 ジャック・バーグ
「今終わったショットはすぐ忘れて、次のショットへ集中すべし」
ゴルフはミスのゲームである。ボウリングのように300ピンで
パーフェークトということがない。
パー72として18ホール全部バーディだとして54。
このスコアを出した人は未だ皆無だし、またこのスコアをパーフェークトというにも異論があろう。
つまり、どんな名人才人であろうとミスはするものなのだ。
大事なのはミスをしたことを忘れること、気持ちを切り換えて
次のショットに向かえと、この名言はいってるのだが、
これがまた凡人には難しいものなのである。
後悔は詮ないものと知ってはいながら、ふっきれないのが人間なのだ。
タイガー・ウッズは「10ヤードルール」を実践している。
10ヤード歩く間にミスを犯した自分を機械的にクールダウンさせる
メンタル・ルーティンだ。
気持ちを切り換える心理方法が科学的になったとはいえ、
ゴルフの本質はジャック・バークの50年代と少しも変わっててはいないのである。
■ジャック・バーク
1923年米国生まれ。父親もプロで3歳でクラブを握り、19歳でプロ入り。
1956年、マスターズ、全米プロに優勝した戦績もだが、ゴルフ指導者としても知られている。
ジャック・バーク著書『ゴルフの極意』(原題Natural Way to Better)は、近代アメリカゴルフ理論を初めて日本に紹介したとしてつとに有名。
2度も来日し、親日家でもあった。
「今終わったショットはすぐ忘れて、次のショットへ集中すべし」
ゴルフはミスのゲームである。ボウリングのように300ピンで
パーフェークトということがない。
パー72として18ホール全部バーディだとして54。
このスコアを出した人は未だ皆無だし、またこのスコアをパーフェークトというにも異論があろう。
つまり、どんな名人才人であろうとミスはするものなのだ。
大事なのはミスをしたことを忘れること、気持ちを切り換えて
次のショットに向かえと、この名言はいってるのだが、
これがまた凡人には難しいものなのである。
後悔は詮ないものと知ってはいながら、ふっきれないのが人間なのだ。
タイガー・ウッズは「10ヤードルール」を実践している。
10ヤード歩く間にミスを犯した自分を機械的にクールダウンさせる
メンタル・ルーティンだ。
気持ちを切り換える心理方法が科学的になったとはいえ、
ゴルフの本質はジャック・バークの50年代と少しも変わっててはいないのである。
■ジャック・バーク
1923年米国生まれ。父親もプロで3歳でクラブを握り、19歳でプロ入り。
1956年、マスターズ、全米プロに優勝した戦績もだが、ゴルフ指導者としても知られている。
ジャック・バーク著書『ゴルフの極意』(原題Natural Way to Better)は、近代アメリカゴルフ理論を初めて日本に紹介したとしてつとに有名。
2度も来日し、親日家でもあった。
ゴルフ名言集 トム・ワトソン
◆ ゴルフ 名言集 トム・ワトソン
「人はかけがえのない瞬間、シーンを味わえる素晴らしさを誰でも持っている」
彼にとって、人生の中で最もかけがいのない(プライスレス)シーンは、
と質問するとすぐに「1977年全英オープン」と答えた。
「最終日、最終ホール。1打差でティグランドにやってきて第1打を放ち、
2打地点に立ったんです。残り178ヤード。
7番アイアンを手にしてショットしたんです。
……ボールが空気を裂くように空中に舞って、
ギャラリーがぎっしりとグリーンを取り囲んでいました。
黄色いピンの旗が、小さく、でも鮮明に見えていました。
ボールは、その奥の小高い丘にタンベリーホテルが見えました。
その上の青い空に向ってボールが飛んでいって、
その旗に呼び寄せられるように放物線を描いていました。
そのわずか数秒のシーンが僕にとってのプライスレス・シーンです」
トム・ワトソンは、そう語った。
そして、「人は、そういうかけがいのない瞬間、
シーンを味わえる素晴らしさを誰でも持ち合わせているんです」と締めくくった。
1977年4月、マスターズ。彼は、ふたつめのメジャーに優勝することになる。
ラーニング&ウイニングの年代と彼が言うとおり、
70年代後半で彼の積み重ねた努力と準備がようやく結実してきた。
そして1977年全英オープン……。
「この試合は私にとって忘れられない、しかも最高の思い出のゲームです」とワトソンは言った。
この2試合ともに帝王ジャック・ニクラスとのデッドヒートだった。
「1打を競い合う闘いだったんですよ。私がバーディをとれば、
ジャック(ニクラス)もバーディをとっていく。
厳しい状況でも絶妙なパーを拾っていく。お互いに一歩も引かない。
残り少ない終盤の15番ホールで、私が幸運なバーディパットを沈めて、
ジャックとタイになったんです」
それまで何度も死闘を繰り返してきた。
その1打ごとの弾道は、ふたりとも芸術的なまでに美しいものだった。
17番ホールでニクラスが思わぬミスをした。
そこでボギー。最終ホール。
ワトソンは、決定的なバーディをもぎ取って決着した。
「私はベストを尽したさ。ただ、それ以上にベストを尽した人間が、
1人だけいたということだ」
ジャック・ニクラスが残したこの言葉で、
どんなに激烈な闘いだったかわかるはずだ。
「人はかけがえのない瞬間、シーンを味わえる素晴らしさを誰でも持っている」
彼にとって、人生の中で最もかけがいのない(プライスレス)シーンは、
と質問するとすぐに「1977年全英オープン」と答えた。
「最終日、最終ホール。1打差でティグランドにやってきて第1打を放ち、
2打地点に立ったんです。残り178ヤード。
7番アイアンを手にしてショットしたんです。
……ボールが空気を裂くように空中に舞って、
ギャラリーがぎっしりとグリーンを取り囲んでいました。
黄色いピンの旗が、小さく、でも鮮明に見えていました。
ボールは、その奥の小高い丘にタンベリーホテルが見えました。
その上の青い空に向ってボールが飛んでいって、
その旗に呼び寄せられるように放物線を描いていました。
そのわずか数秒のシーンが僕にとってのプライスレス・シーンです」
トム・ワトソンは、そう語った。
そして、「人は、そういうかけがいのない瞬間、
シーンを味わえる素晴らしさを誰でも持ち合わせているんです」と締めくくった。
1977年4月、マスターズ。彼は、ふたつめのメジャーに優勝することになる。
ラーニング&ウイニングの年代と彼が言うとおり、
70年代後半で彼の積み重ねた努力と準備がようやく結実してきた。
そして1977年全英オープン……。
「この試合は私にとって忘れられない、しかも最高の思い出のゲームです」とワトソンは言った。
この2試合ともに帝王ジャック・ニクラスとのデッドヒートだった。
「1打を競い合う闘いだったんですよ。私がバーディをとれば、
ジャック(ニクラス)もバーディをとっていく。
厳しい状況でも絶妙なパーを拾っていく。お互いに一歩も引かない。
残り少ない終盤の15番ホールで、私が幸運なバーディパットを沈めて、
ジャックとタイになったんです」
それまで何度も死闘を繰り返してきた。
その1打ごとの弾道は、ふたりとも芸術的なまでに美しいものだった。
17番ホールでニクラスが思わぬミスをした。
そこでボギー。最終ホール。
ワトソンは、決定的なバーディをもぎ取って決着した。
「私はベストを尽したさ。ただ、それ以上にベストを尽した人間が、
1人だけいたということだ」
ジャック・ニクラスが残したこの言葉で、
どんなに激烈な闘いだったかわかるはずだ。
ゴルフを長続きの秘訣は・足で打つ事
◆ ゴルフ 名言集 サム・スニード「長続きの秘訣は・足で打つ事」
「どうしてオラのスウィングはそんなにきれいなのかって?
そんなこと意識したことはねえなあ。
だってよ、フォームでボールを打つわけじゃないだろ?
あんたはボールを投げるときにフォームのことを気にするかい?
しないだろ? それと同じことさ。
棒を持って地面のボールを思い切りひっぱたく。
ゴルフなんてそれだけさ」
若い頃のサム・スニードにインタビューをしたら、
おそらくこんなそっけない答えが返ってきたことだろう。
ツアー通算82勝の歴代最多を誇る伝説のプレーヤーは、
かくも朴訥、というか田舎者丸出しの野生児だったのである。
その野生児の才能をいち早く発見し、
当時隆盛を誇ったクラブメーカー「ウィルソン」に紹介したのがジーン・サラゼンだが、
そのサラゼンでさえ、「彼に品性というものがもう少しあれば…」と残念がったというから、
全盛期のスニードの自由奔放な行動と言動が自ずと想像できるというものだ。
実際、マッチプレーで負けようものなら、
ふて腐れ、握手も交わさずに帰ってしまうようなこともあったようだ。
だからといって、スニードの偉業が色あせるわけではない。
積み上げた勝利数が物語るように、30年に渡ってレギュラーツアーのトップに君臨。
1965年のグレーター・グリーンズボロ・オープンでは52歳と10ヶ月8日で優勝し、
ツアー最年長優勝記録を樹立。
その10年後の1975年には、62歳にしてマスターズ20位、全米プロ3位という成績を残し、
1979年には67歳と2ヶ月で予選通過しているのだから、
もう「超人」というほかはないのである。
スニードの長い現役生活を支えたのが、流れるようなスウィングであることは間違いない。
まるで歩くかのごとく自然な動作でクラブを振ることから「ナチュラル・スウィング」と呼ばれ、
ジャック・ニクラウス、アーノルド・パーマー、リー・トレビノという錚々たる面々が口を揃えて
「サムのスウィングが史上最も美しい」と太鼓判を押したのである。
しかし本人は、なぜそういうスウィングが完成したかなどにはまったく関心がなかった。
というか、考えてもわからなかったのだろう。
子供の頃から野球、フットボール、バスケットボール、陸上競技、
どれをやらせてもトップレベルの才能を示したスニードにとって、
止まっているボールを棒っ切れで打つことなど朝飯前だったのだ。
「だけどもよ、オラだって何も考えてないわけじゃないんだよ。テンポは大事さ。
だからオラはホーガンと回るときは、奴のスウィングを見ないようにしてたんだ。
だって奴のテンポは速いだろ?
つられてオラのスウィングまでテンポが速くなっちまったら困るからね」
現役バリバリだった頃、スニードは足でテンポを刻むことによって、
コンスタントなプレーをしようと心がけていたようである。
脚、腕、肩、腰、クラブを同じスピードで動かすのが
スニードのスウィング哲学だということがわかる。
そしてその行為はワルツを踊るようにスムーズに行われなければならず、
そのリード役となるのが足なのだ。
「ホーガンは腕とベルトを同時に動かすようにイメージしていると言ったが、
まったくもって同感だね。ただ、オラの場合はそれを足で行っているだけなんだよ」
トッププロに共通する感覚をスニードはこのように語っている。
「どうしてオラのスウィングはそんなにきれいなのかって?
そんなこと意識したことはねえなあ。
だってよ、フォームでボールを打つわけじゃないだろ?
あんたはボールを投げるときにフォームのことを気にするかい?
しないだろ? それと同じことさ。
棒を持って地面のボールを思い切りひっぱたく。
ゴルフなんてそれだけさ」
若い頃のサム・スニードにインタビューをしたら、
おそらくこんなそっけない答えが返ってきたことだろう。
ツアー通算82勝の歴代最多を誇る伝説のプレーヤーは、
かくも朴訥、というか田舎者丸出しの野生児だったのである。
その野生児の才能をいち早く発見し、
当時隆盛を誇ったクラブメーカー「ウィルソン」に紹介したのがジーン・サラゼンだが、
そのサラゼンでさえ、「彼に品性というものがもう少しあれば…」と残念がったというから、
全盛期のスニードの自由奔放な行動と言動が自ずと想像できるというものだ。
実際、マッチプレーで負けようものなら、
ふて腐れ、握手も交わさずに帰ってしまうようなこともあったようだ。
だからといって、スニードの偉業が色あせるわけではない。
積み上げた勝利数が物語るように、30年に渡ってレギュラーツアーのトップに君臨。
1965年のグレーター・グリーンズボロ・オープンでは52歳と10ヶ月8日で優勝し、
ツアー最年長優勝記録を樹立。
その10年後の1975年には、62歳にしてマスターズ20位、全米プロ3位という成績を残し、
1979年には67歳と2ヶ月で予選通過しているのだから、
もう「超人」というほかはないのである。
スニードの長い現役生活を支えたのが、流れるようなスウィングであることは間違いない。
まるで歩くかのごとく自然な動作でクラブを振ることから「ナチュラル・スウィング」と呼ばれ、
ジャック・ニクラウス、アーノルド・パーマー、リー・トレビノという錚々たる面々が口を揃えて
「サムのスウィングが史上最も美しい」と太鼓判を押したのである。
しかし本人は、なぜそういうスウィングが完成したかなどにはまったく関心がなかった。
というか、考えてもわからなかったのだろう。
子供の頃から野球、フットボール、バスケットボール、陸上競技、
どれをやらせてもトップレベルの才能を示したスニードにとって、
止まっているボールを棒っ切れで打つことなど朝飯前だったのだ。
「だけどもよ、オラだって何も考えてないわけじゃないんだよ。テンポは大事さ。
だからオラはホーガンと回るときは、奴のスウィングを見ないようにしてたんだ。
だって奴のテンポは速いだろ?
つられてオラのスウィングまでテンポが速くなっちまったら困るからね」
現役バリバリだった頃、スニードは足でテンポを刻むことによって、
コンスタントなプレーをしようと心がけていたようである。
脚、腕、肩、腰、クラブを同じスピードで動かすのが
スニードのスウィング哲学だということがわかる。
そしてその行為はワルツを踊るようにスムーズに行われなければならず、
そのリード役となるのが足なのだ。
「ホーガンは腕とベルトを同時に動かすようにイメージしていると言ったが、
まったくもって同感だね。ただ、オラの場合はそれを足で行っているだけなんだよ」
トッププロに共通する感覚をスニードはこのように語っている。
ゴルフ界に自分の居場所は従業員としてだけである
◆ ゴルフ 名言集 ジニー・ウィリアムズ・スピラー
「ゴルフ界に自分の居場所は従業員としてだけである」
タイガーウッズが国民的英雄として迎えられている今日までの長い年月の間、
ゴルフの世界にも過酷な人種差別が続いてきた。
史上初めて黒人選手としてマスターズに出場した
リー・エルダーや全米オープンの優勝者として出場枠を手にしたカルビンピートに対して、
森の中からライフルで狙うとの脅迫状が送られて来たのはほんの20年ほど前のことで
、彼以前の黒人選手たちは出場できる試合などほとんどなかった。
プロゴルフ協会(PGA)は、その規約において「白人のみ、コーカサス人種のみ」と定め、
黒人を締め出していた。
これに対し黒人達は、全米黒人協会を作り、
黒人専用の私的なゴルフコースでプレイをしていた。
1930年代までの黒人ゴルファーは約5万人で、
彼らのために国内に約20のコースがあったと伝えられている。
1950年代になってPGAの規約が改正され出場できる試合が見られるようになったが、
その数少ない試合でも、ロッカールームは別でレストランへは立ち入れないといった差別を、
彼らは受け続けてきた。
マスターズに出場したリー・トレビノが、駐車場で靴を履き替えてコースに通った話は、
今に語り伝えられている。
伝説の黒人プロ「ジニー・ウィリアムズ・スピラー」は、
1937年、ロスアンゼルス・オープンに出場するため会場へ行ったところ、
彼の顔を見た関係者から「白人選手に限る」と冷笑され、
ゴルフ界に自分の居場所は従業員としてだけであることを知らされる。
1949年、黒人だけのトーナメントが開催され、
ジニーはその2日間、「66」「68」のスコアで見事優勝する。
以後5年間、超難関コースで開催されるこの試合で、
彼は常に60台のスコアで優勝し続け、
試合数の少なかった当時にはよく行われた賭けゴルフ興行でも、
白人プロを相手に負けたことはなかったという。
しかし、このジニーにしても、コースの管理人以外の職にはつけなかった。
1994年、彼は孤独のうちに老人ホームの一室でその生涯を閉じる。
ゴルフは公平なゲームであることを根底としているはずなのに、
そこに関わる人間の醜さが悲しい。
この天才ジニーが、生涯、ベースボールグリップであった。
「ゴルフ界に自分の居場所は従業員としてだけである」
タイガーウッズが国民的英雄として迎えられている今日までの長い年月の間、
ゴルフの世界にも過酷な人種差別が続いてきた。
史上初めて黒人選手としてマスターズに出場した
リー・エルダーや全米オープンの優勝者として出場枠を手にしたカルビンピートに対して、
森の中からライフルで狙うとの脅迫状が送られて来たのはほんの20年ほど前のことで
、彼以前の黒人選手たちは出場できる試合などほとんどなかった。
プロゴルフ協会(PGA)は、その規約において「白人のみ、コーカサス人種のみ」と定め、
黒人を締め出していた。
これに対し黒人達は、全米黒人協会を作り、
黒人専用の私的なゴルフコースでプレイをしていた。
1930年代までの黒人ゴルファーは約5万人で、
彼らのために国内に約20のコースがあったと伝えられている。
1950年代になってPGAの規約が改正され出場できる試合が見られるようになったが、
その数少ない試合でも、ロッカールームは別でレストランへは立ち入れないといった差別を、
彼らは受け続けてきた。
マスターズに出場したリー・トレビノが、駐車場で靴を履き替えてコースに通った話は、
今に語り伝えられている。
伝説の黒人プロ「ジニー・ウィリアムズ・スピラー」は、
1937年、ロスアンゼルス・オープンに出場するため会場へ行ったところ、
彼の顔を見た関係者から「白人選手に限る」と冷笑され、
ゴルフ界に自分の居場所は従業員としてだけであることを知らされる。
1949年、黒人だけのトーナメントが開催され、
ジニーはその2日間、「66」「68」のスコアで見事優勝する。
以後5年間、超難関コースで開催されるこの試合で、
彼は常に60台のスコアで優勝し続け、
試合数の少なかった当時にはよく行われた賭けゴルフ興行でも、
白人プロを相手に負けたことはなかったという。
しかし、このジニーにしても、コースの管理人以外の職にはつけなかった。
1994年、彼は孤独のうちに老人ホームの一室でその生涯を閉じる。
ゴルフは公平なゲームであることを根底としているはずなのに、
そこに関わる人間の醜さが悲しい。
この天才ジニーが、生涯、ベースボールグリップであった。
浮気ものはパットが下手!
◆ ゴルフ 名言集 ボビー・ロック「浮気ものはパットが下手!」
パットの名手で名高い レオ・ディージェル曰く、
「パットの下手なものほど、傾斜がどうの目がどうのとグリーンを読む。
読めば読むほど判らなくなる。
カップの向こうに行ったり来たりして、結局ミスでは怒るぜ、まったく。
さっさとミスをするほうが、重いものを引きずらず、
リズミカルなプレーができる」と。
その彼が、史上最高のパターの名手と言うのが、南アのボビー・ロック。
まさに天才の一言につきる男と、手ばなしのほめようである。
5歳でゴルフを覚えて間もなく、
父親の友人からプレード型のヒツコリーシャフトのパターをもらったロックは、
後生大事に手入れをしながら、ついに生涯、その1本だけを使い続けたという。
あまりによく入るので、仲間たちほ恐れと畏敬を込めてそのパターに
「ガラガラ蛇」という異名を献上した。
なにしろ、8歳でハンディ14、18歳でプラス4になったロックには、
南アを逆さに振っても敵がいない。
そこで21歳のときプロに転向すると、豪州、ニュージーランド、英国を転戦、
2年間で7勝をあげた。
当時の「ゴルフ・イラストレイテッド」誌を見ると、
「ゴルフではストローク数の半分がパターによって占められるのが常識。
ところがこの新人は、ガラガラ蛇と呼ばれる古ばけたパターを自在に操り、
この常識を変えようとしている。
彼の18ホールでの総パット数は、この1年間というもの、
ただの一度も28打を超えたことがない」とある。
1947年から参加した米ツアーでは、
2年半の短い期間に優勝13回、2位10回、3位7回。
49年に出場した全英オープンに優勝、翌年も連覇、合計4勝を挙げている。
さらに驚くべきは、20年間で一度もベスト10位から落ちたことがない実績の凄さである。
それもこれも、パットに優れた者は常に勝つという格言の証明にほかならない。
その彼が、『パッティングには、1つだけコツがある』という。
いわく『あまり狙いすぎないことだ。直感で決めたラインを大切に、
大体の方向に打てばよろしい。
案外真っ直ぐなラインが多いものだ』。
天才ボビー・ロックにほ、確固たる信念があったようだ。
つまり、人間の直感力とは天与の本能、これを侮ってはいけない。
自分は本能だけを忠実に守ってきた。これがコツなのだ、と。
生涯1本だけのパターと寝食を共にすることで、
パターは彼の肉体の一部に昇華したのだろう。
「浮気者はパットが下手!」と言われては、猛練習をするしかない。
パットの名手で名高い レオ・ディージェル曰く、
「パットの下手なものほど、傾斜がどうの目がどうのとグリーンを読む。
読めば読むほど判らなくなる。
カップの向こうに行ったり来たりして、結局ミスでは怒るぜ、まったく。
さっさとミスをするほうが、重いものを引きずらず、
リズミカルなプレーができる」と。
その彼が、史上最高のパターの名手と言うのが、南アのボビー・ロック。
まさに天才の一言につきる男と、手ばなしのほめようである。
5歳でゴルフを覚えて間もなく、
父親の友人からプレード型のヒツコリーシャフトのパターをもらったロックは、
後生大事に手入れをしながら、ついに生涯、その1本だけを使い続けたという。
あまりによく入るので、仲間たちほ恐れと畏敬を込めてそのパターに
「ガラガラ蛇」という異名を献上した。
なにしろ、8歳でハンディ14、18歳でプラス4になったロックには、
南アを逆さに振っても敵がいない。
そこで21歳のときプロに転向すると、豪州、ニュージーランド、英国を転戦、
2年間で7勝をあげた。
当時の「ゴルフ・イラストレイテッド」誌を見ると、
「ゴルフではストローク数の半分がパターによって占められるのが常識。
ところがこの新人は、ガラガラ蛇と呼ばれる古ばけたパターを自在に操り、
この常識を変えようとしている。
彼の18ホールでの総パット数は、この1年間というもの、
ただの一度も28打を超えたことがない」とある。
1947年から参加した米ツアーでは、
2年半の短い期間に優勝13回、2位10回、3位7回。
49年に出場した全英オープンに優勝、翌年も連覇、合計4勝を挙げている。
さらに驚くべきは、20年間で一度もベスト10位から落ちたことがない実績の凄さである。
それもこれも、パットに優れた者は常に勝つという格言の証明にほかならない。
その彼が、『パッティングには、1つだけコツがある』という。
いわく『あまり狙いすぎないことだ。直感で決めたラインを大切に、
大体の方向に打てばよろしい。
案外真っ直ぐなラインが多いものだ』。
天才ボビー・ロックにほ、確固たる信念があったようだ。
つまり、人間の直感力とは天与の本能、これを侮ってはいけない。
自分は本能だけを忠実に守ってきた。これがコツなのだ、と。
生涯1本だけのパターと寝食を共にすることで、
パターは彼の肉体の一部に昇華したのだろう。
「浮気者はパットが下手!」と言われては、猛練習をするしかない。

